都会のオアシスチュイルリー公園(Jardin des Tuileries)も、15世紀までは近くに住む食肉業者のゴミ捨て場になっていました。
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チュイルリー公園(Jardin des Tuileries)
“チュイルリー”とは、”瓦製造所”という意味があり、公園に土は瓦焼きの窯に使われていたそうです。
その後、16世紀の王妃・カトリーヌ・ド・メディシスが私邸を建てようと考え、チュイルリーの土地を購入。
王妃が私邸を完成させずにロワール地方に引きこもってしまった後も宮殿の建設は進み、約100年の歳月をかけて宮殿が完成しました。
カトリーヌ・ド・メディシスの波乱に満ちた生涯は、ルーブル美術館に所蔵されている、ルーベンスが描いた”カトリーヌ・ド・メディシスの生涯”という連作の絵画の中で見られるので、公園に行ったついでにルーブル美術館に立ち寄って、絵を鑑賞してみると面白いと思います。
その後、王宮はヴェルサイユ宮殿に移ったため、チュイルリー宮殿に再び王宮が戻ったのはフランス革命の最中でした。
革命後はナポレオン・ボナパルトが王宮として使っていましたが1871年5月23日、パリ・コミューンの鎮圧の最中に宮殿は焼失。
外壁は残ったため再建可能な状態でしたが、王政、帝政の遺物であるということから撤去が決まり、反対運動の中1883年に解体されました。
今では王宮の庭園部分だけが残り、チュイルリー公園として当時の面影を残しています。
Jardin des Tuileries
13 Rue de Rivoli – 75001 Paris
1番線:Tuileries
7:00~21:00
http://www.parisinfo.com/